オカルト寄りの話をします。
苦手な方は読まない方がいいかも。
皆さんは幽霊っていると思いますか?
私の友人は見たことがあるそうです。
また別の友人の場合は毎日夜、お墓の前を通っていたのに、一度も幽霊を見たことがないので信じていないそうです。
私は見たことがないから信じない、ではなく見たことがある人は何を見たのか、で幽霊を考えるタイプです。
目の錯覚、思い込み、幻覚。あらゆる可能性を否定尽くした先にこそ"ホンモノ"はあるのではないでしょうか。
ですから見たことがない人は、"気づいていない"という可能性も考慮に入れるべきだと思います。
さて、幽霊とは皆さんはどういった姿を思い浮かべますか。
白いワンピース、長い黒髪、恨めしそうな目をした女性…なんて姿が一般的じゃないでしょうか。
この姿が思い浮かんだ貴方は映画「リング」の幽霊、貞子の影響をモロに受けていますね。
映画「リング」が公開されたのは1998年。これ以降、幽霊のイメージに山村貞子の姿。いわゆる白装束に黒い長髪、睨みつける目が付き纏うようになります。
昨今の幽霊像は山村貞子から始まったといっても過言ではありません。
すいません、過言です。
貞子はあくまでも幽霊の一イメージに過ぎません。たしかに多数派ではありますが。
ではそれ以前の幽霊のイメージはどんなものだったでしょうか。
時は遡ること江戸時代。
この頃浮世絵の一つに"幽霊画"というジャンルが生まれます。
円山応挙が描いた「反魂香之図」という幽霊画が有名です。
儚げで美しいですね。
この幽霊も白装束に長い髪、そして女性です。
でもこの時代の幽霊のイメージと現代では、決定的に違うのは、脚があるかどうか、です。
数々の幽霊画が描かれたのですがそのほとんどに脚はありません。
幽霊は地に足がついていない、浮遊する魂として捉えられていたわけですね。
そして数多くの創作物がこの影響を受けました。
これが現在までの幽霊のステレオタイプとなるわけです。
そして目撃した幽霊も、この絵のような姿の幽霊が増えていく。
人間の創作物が、より多くの人間に視認されることにより、やがてその創造は現実へと近づいていきます。
ここで幽霊を"創造"してみましょう。
なんの変哲もない交差点に花束を置きます。
最初は誰も気にも留めないかもしれません。
それを繰り返す。何度も何度も。
やがてその交差点の花を見た人は、「ここでかつて事故が起きたのではないか?」と思い始めます。
そして献花があるということは、その被害者はおそらく亡くなったのだと直結するはずです。
ここまで来ればあとは一言、「あそこの交差点に幽霊が出るらしいよ」と噂を立てるだけ。
なんの変哲もない交差点は、この一連の行動により「事故により命を落とした被害者が、幽霊となって現れる交差点」になりました。
そして幽霊はやがて創造主であるあなたの元を離れ、幽霊としての実体を掴みます。
幽霊を否定できるのはあなただけ。しかし、一人歩きを始めたその存在は、あなた1人の主張ではもう止めようのないカタチ在るものへと変貌してしまいました。
人の創造とは、絵であれ、映像であれ、文章であれ、無から有を作り出します。
幽霊とはそういった私たちの想像から生み出された怪物なのかもしれませんね。
無から生み出された幽霊は、そこに存在するのでしょうか?それとも存在しないのでしょうか?
複数人が目撃した時点で、いないと思っているのはあなただけで、本当はそこにいるのではないでしょうか?
あなたの作り出した怪物が、今夜あなたに牙を剥かないよう、私は祈っています。
コマの書き散らし
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